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震災特番を見た。 
 
今日は3月11日、震災から、ちょうど1年ということで、

各局がそれぞれ、正月番組くらいの長さの震災特番していたので、

競馬はほとんどやらずに、その震災番組を観てました。

区切りっぽいタイミングでちょこちょこ局を変えながら観てたわけですけど、

改めて、大きすぎる出来事だったんだなぁと思った。

自分は、宮城県の中でも、本震の震度が6強だったり、

ちょい車を出せばすぐ、津波が来るようなところに行けるところに住んでいたので、

被災者であるのは間違いはないのだが、

家が全壊したり、津波が来たり、放射能の被害を受けてしまったというような、

そういった「中心」の被災者から比べると、本当に何でもない、無事な被災者だった。

仕事場は半壊気味だったけど。


それゆえに、あまり被災者意識を持ってはいけないと思っていたし、そういう態度も出すべきじゃないと思う部分があった。

TVで流れる映像に心を痛めても、胸に刻み込むだけにして、

自分の立場では、涙を流しちゃいけない気持ちで観ていたのだが、


無理だった。


TVの中で、

被災して、離れ離れになった家族の、親が、

ここに、いるかどうかもわからない避難所で、子供を見つけ、

人目もはばからず、親子が再会に号泣する場面や、

親がもう亡くなっているを覚悟していて、その遺体を探していたが、

実際、遺骨の入った箱を目の前にしてしまって、

その娘さんの目から、涙がこぼれおちているのが見えた場面。

無意識のうちに、自分の状況に重ね合わせてしまったら、

久々に泣けてしまった。


行方不明だった家族を、しばらくの間発見できなくて、無事でいることは諦めていても、

「どこかでは、まだ生きてるかもしれないって、そんな夢みたいなことを考えたりもしてた・・・。」

と、遺族が、家族の遺骨に対面しながらつぶやいていたシーンもあった。

自分でも、同じこと言ってしまうと思う。

今まで、普通に存在していた人間、

一緒に喋ったり、ご飯食べたり、寝たり、笑ったり、喧嘩したりした人間、

いなくなるわけがない、そこにいて当たり前の存在が、もういない。

そして、残ったのは小さい箱。

こんなこと、認められるはずがない。

自分だって、そんな気持ちに絶対になってしまう。


あれこれ考えていたら、しょっぱい汁が止まらなくなってしまった。

同時に、ちょっぴり恥じた。

テレビだけで泣けた人間ってのは、おそらく幸せ。

現場では涙以上のものが、溢れかえっているのに、

コッチは、泣くわけにはいかない。

悲しむんじゃなく、被災していない人間は奮い立つべきなのだが、、、

それでも、抑えが利かなくなる、強烈な絵だった。


もう、こんな思いになるような出来事はあってはならないですな。

仮に、何かあった時には、周りを守れるようにいなきゃいけない。

そして、天災に対する防災意識をさらに強め、

人災が起こり得る可能性を、排除していかなければならないですな。


競馬でも、実生活でも、何でもそうだけど、

少ない可能性ってのを、軽視するのって、やっぱり危険ですよ。

この危険を繰り返す道を選ぶのか、そうじゃないのか。

ちゃんと考えていかなきゃね。

子供でも疑問に思ってるんだから。


1年も経過したこの日が、こんなに重いとは思わなかったな。

ただ、自分の「重い」は、あくまでメンタル的なちょっとしたもので、

「重い」現実の中で、未だに苦しい生活を強いられている人がいる。

今日で、あの日から、まる1年。

1年経ったことで、良い意味で区切りはついても、

悪い意味では区切りがつかないようにしてほしい。

復興、びっくりするくらいの猛スピードで進んでほしいですな。


そして、メディアは東北だけじゃなく、

千葉の方とかにも、もっとフォーカスしてほしいですね。

今日、TVを見ていてちょっと思いました。


色々と考えてしまうことは、山の様にあるのけれども、今日はこのあたりで。


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